「De Visione Absentis」 不在者を観ることについて@tokyo wonder site2F

河合政之氏の映像を見に行ったのだが、うっかり入った1Fのパフォーマンス(成田 護という人の「死踏」)のインパクト。胸の上につきたった「香」、もえさかる炎、揺らぎ、影、そして燃える服、さらされた体、お盆の上のろうそく、かざされる両腕、、そして闇。おしむらくはライターを用いてしまったことだろうか。照明と小道具の関係などを考えながらぼんやりと見ているうちに終わる。河合氏のは、テキストに頼りすぎていることが明白で、神々の時代と現代の状況が「リンクしている」ことを主張するのになぜ映像を用いる必要があるのか、ツールの選択理由の説明責任というか根底にあるものが見えてこない。とか何とか頭の中で御託を並べつつ移動。