だいたい、当時マカロンなんかあったのか?

マリー・アントワネット オリジナル・サウンドトラック
マリー・アントワネット オリジナル・サウンドトラック
サントラをリンクしましたが、映画のほうを(シネコンで)見てきました。シネコンなんて滅多に行かないので、なんだかそわそわしてしまって落ち着かなかったのですが、それはともかくとしてこの映画、題材を考えればかなりの意欲作だと思われますが、それを加味したとしても、やはりいくつかの点で駄作といわざるを得ないなという印象です。歴史的な人物、あるいは事象をフィクションの視点で取り上げる時点で、そこに作り手の演出や創作、解釈が加わることは必然なのですが、この映画の場合は、マリーアントワネットに対するアプローチの仕方がぼやけているため、感情移入ができない、またそれをさせないような構造になっていました。音楽の場合、サントラに収録されている曲の使い方は巧みで、シーンにマッチしているのですが、それを補うようにしてバロック調の音楽、つまりモーツァルトやバッハのようなクラシックを中途半端に用いていることが、全体のトーンをむしろ散漫にしてしまったような気がします。衣裳、それから小道具に関して共通していえることは、時代考証が果たしてどこまで正確なのか、あるいは正確さを放棄してしまっているのか、その点は音楽と同じで、もし考証を中途半端に行っていて、その結果としてのアウトプットであるのなら、全体像が曖昧模糊としたものになるのも致し方ないのかなと思われます。
前作「ロストイントランスレーション」ではそこまで気にならなかったのですが、この監督はどうも女性視点に偏りすぎてしまう嫌いがあるようで、今回も、マリーアントワネットを見せたい、魅せたい、その気持ちばかりが伝わってきて、ただ、それでは映画として成立しません。つまり、周囲の登場人物(とりわけルイ16世)の心理状況や、終盤ではとくに「群衆」の描写が重要になると思われたのですが、その点はほとんど意に介されていなかったのが非常に残念でした。
マリーアントワネットを演じたキルスティン・ダンストは大変良かったのですが、いかんせん、革命前夜の最後のフランス絶対王朝の王妃という、歴史的にも非常に重要なイコンにしては、その描かれ方があまりにも軽々しく、ソフィアコッポラにはぜひ「ベルサイユのばら」アニメ版(漫画でもよいです)を見て勉強してほしいと思います。その上で、自分なりの王妃を撮りたいというのであれば、それはもうご自由にとってくださいと。ちなみに作品中のフェルゼンは、いかにもフェルゼンな感じの男前あんちゃんでしたが、ポリニャック夫人は少しイメージが違っていました。