「自然を開け」

『open nature』@icc<2005.04.29-2005.07.03>

穿った見方をすれば、テーマ一つあれば作品が集まってしまう、あるいは集めざるを得ない、もしくは参加型を謳って来場者とのコミュニケーションスペースを広くとる必然性に追い込まれているような今回のICCの展示でした。一つ一つの作品は示唆に富んでいたり刺激的であったりするのですが、それらがまとまってなにかを意図しているのかというと、大きなコンセプトの下に(おおよそ)収斂させていくのが少しむつかしいのではと感じました。常に「グループ展」的な展開を模索するよりほかないのがあのスペースの苦しいところです(昨年の明和展とか、例外はありますが)。
いくつか作品を見ながら、ビデオアートほど乱暴なジャンルは果たしてないよなあとつくづく思うのでした。(「ビデオアーティスト」という肩書きは「傍若無人に映像で自己表現を果たしても良い人間」と同義なのでしょうか。)一番奥の部屋には長岡造形の方達の建築模型が展示してありましたが、見せ方が大変工夫してありました。先日訪れた某S展とは較べものにならないくらい。見せ方一つで「作品」の善し悪しががらりと変わるわけだよなあと当たり前のことを思い知りつつ、カールステンニコライの心地よいノイズサンドストームを眺め、浴び、聴き、「本当によいアーティスト」について思索を巡らせました。
お絵描きさせたりボタン押させたりするのは、作り手はどんどんやらせるべきだと思います(必要なら)。なぜってお客さんは、「見に来た」だけのつもりなのに、「作り出す」側の感覚を多少なりとも共有することになる訳で、そこに楽しさや新たな発見とかがあるに違いないと思うからです。というわけで自分もお絵描きしたりマス目塗ったり旗立てたり、ひとりでばたばた遊んできました。たまにはこういう感じで解放して。なんかそんな感じばっかりですけど。