誰も知らない@シネ・アミューズ

2回目。レイトということでさすがに人もまばらだったが、それでも普通の平日レイトより込んでいたのは水曜だったからか、それともこの作品だったからなのか。客入れの悪趣味な赤い照明と、低い天井とそれによって生じる段差のない客席は正直言って鑑賞しやすい映画館とは言い難いが、どうも最近アミューズによく来るような気がするのは気のせいだろうか。
簡単にいうと、1回目のときのわだかまりはすっきりと氷解し、そこには新たな発見もありつつ、雑誌の編集後記などに得意げに「もう5回見に行ってきちゃいました」とかポラまで載せちゃってる馬鹿者(見に行くのが馬鹿なのではなく、それをカミングアウトしちゃう行為が大人げない)のモチベーションも確かに理解できた。前回は主に主役の立場で全体を見ていたような気がしたが、今回は割と作り手的な立場で見てみた、つもりだったが、途中からあまりそういう意識の境目がなくなっていた。モノレールに差し込む朝日、あの映像を撮るために必要なのはおそらく、意図するものもあればそうでないものも必要だということなのだろう。
そういう意味で、バランスをとることが映像作品の中ではとても重要だなと感じた。この作品の中では特に母親役への(ってまたいってますが)配慮があればなおよかったと思う。最初の、大家への挨拶のシーンがどうしてもぎこちない。そのことと、明があとで「前にもいろいろあって大変だったんだ(だから警察や福祉事務所には事情を話せない)」という事情の深刻さ、空気がイコールで結ばれない。これは明らかに狙いではなく、単純に演出不足ではないだろうか。
今回特に思ったのは、オーディションを相当綿密に行ったんだなあということ。子供の表情や仕草が大変豊かで、またそういう子をきちんと選んできていることに感心しました。一番下の女の子など、なかなかあの年であの目は出来ないと思います。既にいい役者さんです。
前回見たときは、最後の部分少しよけいかなと思いましたが、今回は特にそういうこともなく、すっきり見終えることが出来、まああまり書くとネタバレになるのであれですが、一種の見立てをやったわけですね。燃やす音と飛ぶ音で。ということですよね。たぶん。
どんどん彼らの生活が乱れ、汚れていく様は本当に身がつまされます。やっぱちゃんとせないかんよなあ、と。純粋にそういうことも考えます。まあ家族とかそういうこともそうですが、その前に一人の人間として。しばらくは、毎週一回、この作品をミサのように観に行って、それでちょっと反省して帰る。ってのもいいかもしれません。…それで5回も6回も観に行ってしまう訳か!