『赤目四十八瀧心中未遂』(dir.荒戸源次郎) @ポレポレ東中野

akame


後回し後回しで結局「桜の季節(c)向井秀徳」になり、まあ結果的にはそれもまた良かったのかと思えるような暖かい画の雰囲気。全体的に映像の美しさはやはりシネスコとフィルムのタッグ、相性の良さをこれでもかと突きつけられる。さすが清順組と言うべきか、ただ清順の作品が方法論においてもストーリーに置いても途方もない非現実空間へ飛翔しているのにくらべ、この作品はあくまで現実的であろうとしている。「この世の外へ連れてって…」とかいっている寺島しのぶが赤目の瀧へ向かう食堂で親子丼(でなければカツ丼だろうがたぶん親子丼)をかきこんでいるシーン、できれば音をも少しおさえてほしかった卵を飲むシーンなどは明白な「生」への渇望であり、それは同時に物語を越えた地点での「現実」への回帰でもあるように思えた。

幼少の折に親戚に連れていってもらった赤目は、森の中を進んでいくと次々と壮大な瀧が姿を現していく不思議な空間で、今にして思えば一種のモラトリアムのメタファー的な趣すら感じられる場所だった。近くには「忍者の里」と称した子供だましのアスレチックランド(ただの安遊園地)があり、当時はそこで遊んで帰った。そこも含めて赤目からはなにかいかがわしく、まさに秘境的な、しかしそこには神秘性ではない何かがあるような気がしていた。

そんな赤目をモチーフにどう映画を撮るのかが正直一番興味があったところだった。尼崎を舞台にした部分の設定は非常に興味深く、長屋という構造(これが映像的には一番シンプルでやりやすいわけで)、臓物捌き(職種としてかなり新鮮)など、細かいところが刺激的だった。しかし冷蔵庫だけが新しくばかでかいものだったのはやはり意味があるのだろうか。(もちろんそうだろう。)とにかく話は尼崎を出て通天閣近辺を経て天王寺駅のロッカーに行き着くわけだが、肝心の「最後に赤目に行く」という動機が少し弱かった。思い入れをもう少しこちらに伝えてもらわないと迫力がでない。はじめから「未遂」と確信犯的に名乗っている以上そこまでアジテートする必要はないのかもしれないが、少し物足りなさは感じた。

最後、主役(目力だけは一人前)と寺島しのぶの分岐点は近鉄のとあるターミナル駅、自分の叔母夫婦が住んでいる。作品が東京でなく関西、奈良というだけでなぜか味わいがあるように感じてしまうが、さらに自分と親しいところであるというだけで何か異なる感情が芽生える。これは作品を公平に見ていないということなのかもしれないけれどこればかりは仕方がない。