『グッバイ・レーニン!』 @恵比寿ガーデンシネマ

lenin


3/20分に書き込んでますが見に行ったのは一週前の土曜日、封切り後2週目だったせいかおそろしい混み具合、まるで某キル・ビル並み。上手の前から3番目くらいの席を何とか確保、ありえない角度にならざるを得ない首の角度にてやむなく鑑賞。
全体のトーンが期待していた方向とは幾分違っていて、それに慣れていくのに少し苦心した。予告編のニュアンスだと「お母さんは秘密に気づいてしまうのかしら?子供たちはそれを守れるのかしら?」的なファニーテイスト80%くらいのコメディータッチものかと思っていたが、母親が社会主義に没頭しているところから話が始まるところからして何かおかしいなと思い、主人公(というかあくまで物語の語り部に設定されているはずの母親の息子)とつるんで母親に"偽社会主義"を必死にアピールするケーブルテレビ会社の仲間のキャラクターがとにかくいたたまれない。キューブリックの引用など、ヨーロッパだから許されるのだろうか。日本はおろか、アメリカの作品でもおそらく寒々しいものだろう。母親が"事実"に気づく決定的な場面でさえ、笑いに対して何かが欠けたまま話は先に流れていった。その理由として考えられるのは、物語全体を包含しているのは母親の視点そのものであり、すなわち母親自身を育て自身が信じてきた体制が崩壊してしまったことに対する失望感そのものがそこにあるからだろう。その点では、レーニン像を一つのモチーフとしたシーンは最も明快であり、しかしそこにカタルシスがもう一歩感じられなかったのには何かしら原因があるのだろう。物語を転がしていくだけのはずだった母親の息子の物語が途中から肥大化してしまい、話がわき道にそれた印象を受けてしまったこともその一つかもしれない(恋人がどうしたこうしたとか)。ほとんどが素人ばかりというキャストにも一考の余地はあるだろう。
しかしこうした問題点をさしおいても、テーマとしての"イデオロギーの転換"をここまで軽快に取り上げたのは斬新だと思えた。どうしても社会派的というか、重苦しいムードに陥ってしまいがちな問題を、明るい雰囲気に(一応)まとめ上げてあった。その点は評価できるのではないだろうか。…にしてもちょっと混みすぎです。そこまで騒ぐほどの作品ではないかとと。。