日本の鏡

アニッシュ_カプーア 「JAPANESE MIRRORS」
例えば、スカイ座バスハウスの最寄り駅は日暮里なのですが、言問通りの坂をゆっくり上っていくのが好きなのと、昨年その界隈のお寺やギャラリーを利用したこともあって、いつもは根津の駅で降りて辺りを散策がてら目的地に向かうことがほとんどです。しかし今日は、とりあえず根津で降りてみたものの、マフラーをひきちぎらんばかりの寒波に(雪も降ってないのに何をかは言わんとお叱りを受けそうですが)散策は取りやめ、一直線に銭湯に駆け込む勢いで早足で坂を上ってみたのでした。
銭湯の中には5枚の「鏡」が壁面に、廻る「鏡」が1つ床に置かれていて、それらは以前金沢で引きずり込まれそうになった「世界の起源(The Origin of the World)」とは印象を異にするものでした。異次元へつながるワームホールのような廻る鏡を見ながら、彼の作品が見つめているものは作品と外界の接点であって、その関係性は一定ではなく、常に可変であるということを意図しているような…などと考えたりしました。
作品集の表紙にもなっている1998年発表の作品が「At the Edge of the World」で、なんというか彼の作品の基本コンセプトみたいなものだよなあ、とか(そしてすごく絶妙です)。

NDP補足

http://d.hatena.ne.jp/tatanka/20051219を書いた際に最近の作品の感想を書くのを忘れたのですが、とりあえず先週の湯たんぽが出色でした。申し訳ないのですが全く期待してなかったのです、それで、期待していなかっただけに何というか、安い年俸で雇った外国人野手がいきなり1試合3ホーマーみたいな、ちょっとニュアンスが違うような気もしますが、とにかくホームランだったわけです(まとめました)。
その前の2週、新聞とおみくじはノーコメントとして、さらにその前の週の風呂敷、出来はとにかく、アプローチの仕方(鞄に出来る、子供も親しめる、など)は大変共感できました。近頃は「もったいない風呂敷」なんてのもあるらしいですし、風呂敷をモチーフにした鞄もいくつかあるみたいですから、こういった昔ながらの品物を生活(デザイン)の中にうまくいかしていければ面白いなと思いました。