chelfitsch「目的地」ワークインプログレス @ BankART STUDIO NYK 2F

映像の使い方がおもしろかったこともあり、いろいろ考えさせられるパフォーマンスでした。ある「物語」を均一に分断してそのテキストを少しずつプロジェクションしていく今回の手法は、プロジェクションされる「物語」が、その場で行われている出来事と乖離しているようでいて、微分のグラフの曲線のように両者がだんだん近づいてくる様子が非常に興味深くあり、ただそれが狙いなのかどうかまではアフタートークの岡田さんの話し振りではよくわかりませんでした。演出岡田さんの後輩だと言う若者は、アフタートークで「動画ではない映像」の説得力のなさを必死に説いていたけれど、その考え方こそが、映像というメディアの持つ可能性を一気に狭めているに他ならないと思いました。chelfitschは「超リアル日本語」をうたってるらしいけれど、見てみたところ、彼らの使ってる言葉遣いは映像の世界ではとりたてて普通のセリフ回しだし、つまり演劇の世界では未だに「普通」であることが一つの流派たり得るわけなんですね。野球のボールに「普通」と書いてあるんですね。確かに普通が一番なんですけど。それは別に「超リアル」でもなんでもないので、どうなのかなと。(話ずれたか)