DEQUSTATION A JAZZ

このタイミングでリリースというのがもはやなんだか皮肉な感じすらしますが(それを狙ってないというのもやはり才能というべきなんでしょうか)、とにかくこの入り乱れた渾然一体のアットホーム感はもはやジャズの文脈で語ることは不可能に近いし、そういう難しいことは他の御仁がご丁寧にやってくれるか黙殺するかでしょう。のでここは感じたことを正直に。
普通に、これはテクノ・ミュージックからジャズを構築していく課程の一部として難なく聞き取れました。その聴き方が間違っているのかもしれないけれど、自分にはそのように入ってきた。そして全く違和感がなかった。ジャズに対してあまり馴染みのない耳にもすんなりと受け入れられた。もちろんまっとうにジャズとして機能している(であろう)曲もあるけれど、そのほとんどが断片的であり、プロトゥールズによってカットアンドペーストされている(らしい)ことがわかる。しかしそれでもこの69分間が決して間延びしないのは、ひとえに彼のコンポーザーとしての引き出しの多さ、そして何よりジャズプレイヤーとしてのセンスがこの作品を異端でありながら聞かせる力のあるものに仕立て上げているような気がする。その拡大解釈の巾の広さは、ジャコパストリアスに傾倒したかのスクエアプッシャーをすら思わせる。というか試聴したとき一瞬プッシャーが頭をよぎった。今度ラフォーレミュージアムに来るなーって。それは嘘だけど。